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福岡地方裁判所 平成7年(行ウ)9号 判決

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

岡村親宜

内藤功

山田裕祥

望月浩一郎

梶原恒夫

被告

労働保険審査会

右代表者会長

山田正美

被告

北九州西労働基準監督署長

白壁勝典

被告

福岡労働者災害補償保険審査官

安永剛

被告三名指定代理人

細川二朗

外一名

被告労働保険審査会指定代理人

吉野禧久

外三名

被告北九州西労働基準監督署長指定代理人

佐々木博仁

外三名

福岡労働者災害補償保険審査官指定代理人

石津公男

外一名

主文

一  被告北九州西労働基準監督署長(旧八幡労働基準監督署長)が昭和六一年一〇月二九日付で原告に対してなした労働者災害補償保険法による休業補償給付を支給しない旨の処分はこれを取り消す。

二  原告の被告労働保険審査会及び被告福岡労働者災害補償保険審査官に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告北九州西労働基準監督署長との間においては同被告の負担とし、原告とその余の被告らとの間においては原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

1  主文第一項と同じ

2  被告福岡労働者災害補償保険審査官が平成二年三月三〇日付で原告に対してなした原告の審査請求を棄却するとの決定を取り消す。

3  被告労働保険審査会が平成六年四月七日付で原告に対してなした原告の再審査請求を棄却するとの裁決を取り消す。

第二  事案の概要

本件は、右脳内出血に罹患した原告が、これは業務上の疾病であるとして、八幡労働基準監督署長(現被告北九州西労働基準監督署長、以下、単に「被告労基署長」という。)に休業補償給付の支給を請求したが、被告労基署長から業務上の疾病とは認められないとして、これを支給しないとの処分(以下「本件不支給処分」という。)を受け、さらに、被告福岡労働者災害補償保険審査官(以下、単に「被告審査官」という。)に対する審査請求及び被告労働保険審査会(以下、単に「被告審査会」という。)に対する再審査請求もいずれも棄却されたところ、原告の右脳内出血は業務上の疾病に該当し、被告労基署長のなした本件不支給処分は違法であるとして取消しを求めるとともに、被告審査官の原告の審査請求を棄却する決定及び被告審査会の原告の再審査請求を棄却する裁決にもそれぞれ固有の瑕疵があるとして取消しを求めた事案である。

(当事者間に争いのない事実)

一  原告は、訴外教育出版株式会社(北九州市八幡東区所在、以下、単に「訴外会社」という。)に営業部次長として勤務していた労働者である。

二  原告は、昭和五八年五月二六日に脳内出血を発症し(以下「本件発症」という。)、その療養のため休業して療養を行ったが、同疾病は業務上の疾病であるとして、八幡労働基準監督署長(現被告労基署長)に休業補償給付の支給を請求したところ、被告労基署長は、昭和六一年一〇月二九日付で原告の右脳内出血は業務上の疾病とは認められないとして、これを支給しないとの処分(本件不支給処分)をした。

三  原告は、本件不支給処分を不服として、被告審査官に審査請求をしたが、同被告は平成二年三月三〇日付で原告の審査請求を棄却する決定を行い、原告はさらにこれを不服として被告審査会に再審査請求を行ったが、同被告も平成六年四月七日付で原告の再審査請求を棄却する裁決を行った。

(争点)

一  原告の罹患した右脳内出血は業務上の疾病か(業務起因性)。

二  被告審査官の決定及び被告審査会の裁決にそれぞれ固有の瑕疵があるか。

(争点に対する当事者の主張)

一  争点一について

(原告の主張)

1  原告の従事した労働は、午前一〇時から深夜に至る労働であり、次のとおり、量的にみて極めて過重であった。

(一) 本件発症以前の一年間(昭和五七年五月から翌年五月二六日まで)の労働

① 勤務日数三二五日(一一日の休日労働)

② 年次有給休暇の取得日は〇日

③ 出張日数八二日

④ 年間総労働時間四二六五時間(本件発症一か月前までの一一か月間毎日約五時間の残業、本件発症前一か月間は毎日約七時間の残業)

(二) 本件発症前一か月間(五月一日から二六日)の労働

① 勤務日数二〇日

② 年次有給休暇の取得日は〇日

③ 月間総労働時間三〇〇時間(毎日約七時間の残業)

2  さらに、原告の従事した営業部次長の労働は、質的にみて、次のとおり、極めて過重であった。

(一) 営業部次長の業務は、毎日、売上高が低い、もっとそれを伸ばせと命令する営業本部長である社長と、どんなに頑張っても売上高が伸ばせない、どうやってそれを伸ばすかと悩む営業部員との中間に立って、深夜近くまで頭を悩ませ、営業部員を指導監督する業務であり、精神的に極度のストレスと疲労を蓄積させる業務であったこと

(二) とりわけ本件発症前一か月間は、右(一)に加え、部下の営業課長が営業部員を引き抜いて同業の別会社を設立する動きがあり、これを封ずるため、連日連夜会議を開くなどの対策に追われ、かつ、本件発症一四日前からは毎日、二五名中課長を含む九名の退職、同業別会社設立の善後策の業務に追われ、精神的に極度のストレスと疲労を蓄積させたこと

3  原告は、右労働に従事したことにより極度のストレスと疲労を蓄積させ、疲労困憊した中で、右脳内出血に罹患した。

4  原告の右脳内出血は原告の高血圧症の基礎疾患の増悪が原因(主因)であるが、これは、原告の従事した訴外会社の営業部次長の過重な業務が、原告の高血圧症の基礎疾患を自然経過による増悪を超えて増悪させた結果であり、原告の従事した訴外会社の営業部次長の過重な業務が発症の結果を招いたものである。したがって、原告の右脳内出血は業務上の疾病に該当し、被告労基署長の業務外の認定は事実誤認であり、本件不支給処分は違法であって、取り消されるべきである。

(被告労基署長の主張)

原告の業務について特に過重負荷に当たるものは認められず、かえって、原告が本件発症当時に有していた基礎疾患の程度に照らすと、本件発症は業務以外の日常生活上の種々の要因の作用により、血管病変を増悪破綻させることにより生じたものである可能性が高いのである。したがって、原告の業務と本件発症との条件関係が、高度の蓋然性をもって認められるとはいえず、仮にこれを認めたとしても、原告の業務が、本件発症について、他の日常生活上の原因と比較して相対的に有力な原因であるとはいえないのであるから、原告の業務と本件発症との間に相当因果関係があるともいえない。

二 争点二について

(原告の主張)

1  被告審査官の原告の審査請求を棄却する決定は、原告の右脳内出血の発症と原告の従事した労働との関連性に関する医学専門家である浜松労災病院半田肇医師による鑑定意見により、原告の右脳内出血を業務上の疾病と認定すべきところ、さらに再鑑定を依頼し、極めて医学的根拠のない理由で業務起因性を否定する産業医大病院井上尚英医師の意見を意図的に取って、原告の審査請求を棄却したもので、審査官の権限を濫用したものであり、これは決定に固有の瑕疵があるというべきであり、取り消されるべきである。

2  被告審査会の原告の再審査請求を棄却する裁決も、右半田医師による右井上意見の当否を含む再鑑定処分の申立てを採用せず、その結果、原告が本件発症前に従事した業務と右脳内出血との関連性を事実誤認したものであり、これは裁決に固有の瑕疵があるというべきであり、取り消されるべきである。

(被告審査官の主張)

いずれの医師の意見書を採用し、いずれを不採用するかは被告審査官の裁量に委ねられているところであり、原告が主張するような瑕疵はない。

(被告審査会の主張)

再鑑定処分の申立てを採用するか否かは被告審査会に委ねられている裁量の範囲内であって、同被告が原告主張のごとき措置をとらなかったことは違法ではなく、同被告の裁決に裁決固有の瑕疵はない。

第三  争点一(業務起因性の有無)に対する判断

一  前記当事者間に争いがない事実のほか、証拠(甲二、八、九、一一の2、一二の10ないし15、36ないし39、一四ないし一八、乙七、八、一二、証人鈴木衆一、同浦野力、同甲野花子、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原告の職歴等

(一) 原告は昭和一八年四月二五日生まれで、本件発症時満四〇歳であった。

(二) 原告は昭和四九年二月妻花子と結婚したが、当時書籍販売業の学友社株式会社でセールスマンとして勤務しており、責任感の強い性格で、仕事は真面目であり、病気らしい病気もしていなかった。性格は明るく、飲酒は好きな方で、毎日晩酌をしていたが、セールスマンの仕事柄、人に気を使うことが多く、飲酒は唯一のストレス解消法であった。

(三) 原告は昭和五一年三月学友社を退職し、同じ職種の九州出版株式会社に入社し、書籍販売のセールスに従事した後、昭和五三年一月から教育出版株式会社(訴外会社)に、独立採算式のセールスマンとして勤務するようになった。そして、原告は毎日午前九時三〇分ころ出勤し、午後六時三〇分ころから午後七時ころ帰宅し、休日は休み、精神的にも楽であり、健康であった。

(四) 訴外会社は昭和五四年春ころ、幼児、小学生向きの書籍のセールスから中学生対象の書籍のセールスへと営業方針を変え、夜間に訪問販売をするようになり、その結果、営業部の社員の正規の勤務時間は午後一時出社、午後九時退社(ただし、実際の終礼時刻は午後一一時)となったが、独立採算法式のセールスマンであった原告は正社員と異なり、午後四時ころから午後一〇時ころまで販売活動をして、遅くとも午後一一時には帰宅し、休日は休み、健康であった。販売高は訴外会社のトップクラスであった。

2  本件発症約一か月までの原告の業務内容

(一) 原告は、昭和五五年八月訴外会社の営業本部の営業部次長として管理職の地位に就き、正社員となった。その際、原告は、社長から、一般の営業部所属の社員と異なり、午前九時三〇分に出勤するように指示され、以来、午前九時三〇分前に出勤し、就業してきた。営業部次長の職務は、①営業マネージャー、②販売促進、③販売員の教育指導、④直営店管理(指導、教育)、⑤代理店管理(指導、教育)であった。営業本部は、営業本部長を社長が兼務し、本社には営業課長外二五名の営業部員を擁していた。また、九州各県及び四国、中国、大阪に各支店を擁していた。

(二) 原告の本社における午前中の仕事は、毎日、社長を交えての会社運営会議への出席、地方支店との連絡、営業部員の個別の営業指導、新入社員応募者との面接、新入社員の教育等であり、多忙で、昼食時間はせいぜい三〇分であった。原告は、午後一時には、出勤してきた全営業部員を集めた営業部の朝礼を主宰し、その後は午後四時前まで、各班毎に当日訪問する地域を決め、訪問先をリストアップし、地図による所在地の確認等の業務を行う営業部員の営業指導を行った。

(三) 午後四時ころ営業部員は各班毎に自動車に乗り、本社を出発する。そして、当日訪問する地域の中心地で自動車を降り、午後九時三〇分ころまで各自別々に営業活動を行い、その後、自動車に集合し、自動車で本社へ帰り、午後一一時ころ全員の営業部員がそろって終礼を行い、解散する。セールスのピークは午後七時から午後九時の二時間であるが、現地到着後から午後七時前までに訪問予定の各家全部の家庭訪問をし、子供の帰宅時間を聞き出し、その帰宅時間に合わせて再度の家庭訪問のアポイントをとる営業活動を行うが、その途上、喫茶店等に入り、軽い食事をしながら訪問予定先の子供の志望校等の情報の確認等の営業準備活動を行う。原告は、出張中以外は右営業活動に毎日参加し、いずれかの班の営業部員と一緒に営業活動を行い、営業指導を行い、自動車で帰社し、午後一一時ころ終礼を主宰する。

(四) そして、原告は、終礼後も、当日の営業成績の悪い営業部員については、一杯飲み屋に誘い、飲酒と食事をしながら営業指導を行ってきた。その結果、帰宅時間は午前〇時を過ぎることがほとんどであった。残業は毎日終礼までで少なくとも五時間(午前三時間、夜二時間)は行ってきた。原告は、社長(営業本部長)からは売上が悪いと責任を問われ、部下にはどうすれば売上を上げることができるかと問われ、売り上げをいかに伸ばすかに日夜頭を悩ますようになった。

(五) 原告は各地の支店の把握のため、ほとんど毎月出張するようになった。

3  本件発症前約一か月間の原告の業務内容

(一) 原告は昭和五八年四月後半に入って、部下である大山満晃営業課長が営業部員を引き連れて別会社を作る動きがあることに気づいた。そこで、原告は、社長と相談しながら、営業部において社長に次ぐ営業本部の事実上の最高責任者として、終礼後、一杯飲み屋で毎日午前一時すぎまで、大山課長に引っ張られそうな営業部員一人一人と面談し、大山課長の設立する会社に入社せず、退職を思いとどまるよう説得活動を行った。右飲食代及び帰りのタクシー料金は訴外会社が負担した。そのため、残業は少なくとも五月一日以降毎日午前一時までで七時間(午前三時間、夜四時間)となった。原告は、従前から長時間の労働でストレスを受け、疲労が蓄積して慢性疲労状態にあったが、この緊急事態のため睡眠不足となり、過労状態となっていった。

(二) 当時の営業本部の部員は課長を含め二五名であったが、昭和五八年五月一二日大山課長以下九名が退職し、同課長を社長とする競争会社を設立した。原告は、営業部において社長に次ぐ営業本部の事実上の最高責任者として営業部の善後策に連日夜遅くまで会議その他の対策を行い、毎日帰宅が午前二時ころとなり、また、帰宅後も営業部員から電話が入ることもあった。

(三) 九名の退職後の同年五月一三日以降は、原告は退職者の欠員の補充と新人教育のため外回りをする機会が多くなり、また、残った営業部員とのコミュニケーションをとって営業成績を回復する必要に迫られた。このため、終礼後も、連日、社長の指示を受け、残った営業部員と新しく入社した営業部員を連れて、一杯飲み屋で飲食しながら営業指導を行い、午前二時すぎにタクシーで帰宅する生活を送らざるを得なかった。その結果、原告は精神的にも肉体的にも生理的限界を超え、完全に疲労困憊状態に陥った。

4  本件発症当日の原告の業務内容

(一) 本件発症当日である昭和五八年五月二六日、原告は午前九時三〇分ころ出勤し、午前一〇時ころから正午ころまで営業本部で打合せを行い、午後一時ころから午後一時二〇分ころまで朝礼を主宰し、午後一時三〇分ころから午後四時ころまで営業部員と懇談し、営業状況を把握するとともに、営業指導を行った。

(二) 原告は、同日午後五時ころ学生アルバイト二人と新入社員の林幸男と一緒に、新入社員と同行販売指導のため訴外会社を出発し、北九州市門司区緑町へ向かった。原告は、林の運転する自動車に同乗するや、疲労のため眠り込んでしまい、同日午後七時三〇分ころ門司駅近くの柳町で林に起こされて起き、自動車を降りた。

(三) しかし、原告はすぐに気分が悪くなり、門司駅構内の公衆電話から妻に、身体の調子がおかしいとして迎えに来るようにと伝えた直後から、次第に左半身に麻痺が起き、妻がタクシーで駆けつけたときには、左半身麻痺が進行して歩行不能となっており、救急車で健和総合病院に緊急入院した。

(四) 同病院で直ちにCTスキャンで原告の頭部を撮影した結果、四センチメートル径の脳内血腫が認められ、同年五月二七日開頭術が施行された。原告の疾病は右脳内出血併左片麻痺と診断された。

5  原告の健康状態

(一) 原告は、本件発症に至るまで、ほとんど病気らしい病気をしたこともなく、年次有給休暇もとらず、毎月約一回の休日労働も行い、働き続けてきた。

(二) しかし、原告は、本件発症の約二か月前の昭和五八年三月二二日に訴外会社の実施した健康診断を受けたところ、医師から少し血圧が高いと言われただけで他に異常は認められず、血圧測定の結果を医師からも事業者からも知らされていなかったが、このときの血圧測定値は一六八/一〇八㎜Hgであり、高血圧であった。

(三) しかるに、原告は、医師からも事業者からも、このとき全く健康指導を受けておらず、また、何の異常も感じておらず、本件発症に至るまで全く治療を行っていなかった。原告の事業者である訴外会社は、原告を雇い入れた昭和五三年以降、昭和五八年三月まで健康診断を実施していなかった。

(四) 原告は本件発症後、高血圧症が継続し、高血圧症の治療を実施されており、本件発症時に高血圧症に罹患していたと認められる。

二  次に、本件発症の原因及び業務との因果関係等についての医師の意見は次のとおりである。

1  健和総合病院馬渡敏文医師の意見(甲五)

頭部CT及び手術所見によれば、四センチメートル径の脳内血腫があり、典型的な高血圧性脳内出血である。毎日のように残業が続き、精神的にも肉体的にもストレスが蓄積していたことにより高血圧性脳出血をきたしたものと判断する。

2  健和会長行病院加来俊輔医師の意見(甲七)

脱塩利尿降圧剤、β―ブロッカーを必要とする程の高血圧があり、短時間、急激な労作による一過性の高血圧ではなく、脳出血の素因もしくは基礎疾患があったと解釈する。血圧等日常の健康管理に関する諸データは一回分のみで、発症前の経時的比較はデータが全くないので、ストレスの肉体的影響の指標について客観的比較が不可能で、会社のレポートによる状況証拠により間接的にストレスの程度を推測するしかないが、補償性と過重性の観点よりすると、業務上とするのが望ましいのではないか。

3  浜松労災病院半田肇医師の意見(甲一二の41)

高血圧性脳内出血はいついかなる時にも突発的に発症する危険を有しており、高血圧を有する場合は業務上のみならず、日常の生活環境の中にあっても、ストレスが直接、間接の誘因となり発症するので業務とどの程度関係するかを規定することは難しい。原告の就業時間は仕事の性質上相当超過延長しており、特に二、三週間前よりはかなり不規則で高度の肉体的、精神的ストレスが加わっていたことは明らかである。さらに発病は午後七時三〇分ころの業務中であることを考慮すれば発病は業務起因性があると認定するのが妥当である。

4  産業医科大学病院副島徹医師の意見(甲一二の33)

血圧は本来不安定なもので、日常の生活行為中も高度に変化するものであり、業務上の疲労のみが原告の脳出血に強く関与したとは断言し難い。また、発作当日急激に血圧が上昇するような、精神的、肉体的トラブルが業務上存在した形跡もない。脳血管障害患者が労災補償の対象となる場合は、日常の業務では存在しない突発的な、精神的肉体的刺激が業務上加わり、血圧を大きく変動せしめたと判断できる場合のみで、原告には当てはまらず、労災補償を適用するのは困難と考えられる。

5  産業医科大学病院井上尚英医師の意見(甲一二の43)

高血圧性脳出血では通常高血圧がある程度持続し、そのため脳動脈に明らかな病変(血管壊死)が起こり、それが血圧の上昇に伴って破れるというのが通説となっており、原告には発症当日脳出血をきたす危険性がかなり高かったことが考えられる。原告の脳出血の発症が服務中であることからみて、発症が業務と関連があることを示唆しているものの、果たして発症前に明らかな過重負荷を受けたか否か、異常な出来事に遭遇したのかを証明する客観的な証拠が十分でないことから、発病が業務に起因すると判断することは困難である。

6  総合病院千鳥橋病院舟越光彦医師の意見(甲一九、証人舟越光彦)

原告の日常業務自体が慢性的な疲労を生む長時間労働で、精神的ストレスの高い労働であったと結論される。そして、この上に、発症一か月前に発覚した営業課長の独立事件の結果、災害的ともいうべき過大な労働負荷が加わり原告の労働時間はますます長時間となり、精神的ストレスも一層高まり、肉体的、精神的にも疲労困憊状態に陥ったものと判断される。この結果、原告の過重な労働負担が引き金となり高血圧の増悪などを介し自然経過を超えて脳出血を発症したものと考えられる。したがって、原告の疾病は業務に起因して発症したものと判断される。一方、平成七年二月一日付の「脳血管疾患および虚血性心疾患の認定基準」に関する第三八号通達では、「日常業務に比較して、特に過重な業務についていたこと」を認定要件としている。しかし、ここで云う「日常業務」は通常の所定労働時間内の所定業務内容を云うものであり、恒常的な時間外労働が行われている場合は時間外労働を省いた業務が日常業務と定義されている。原告の場合、「日常業務」自体が所定労働時間八時間をはるかに超える労働であった。しかも、発症直前の二週間前の労働時間は約一五時間で、所定内労働時間の約二倍に相当する。したがって、「日常業務に比較して、特に過重な労働に従事していた」と判断することができ、現在の通達に照らしても業務に起因した疾病とされるべき事例と考えられる。原告の疾病(脳出血)は業務に起因して発症したものと判断される。

7  糸島医師会病院飯野耕三医師の意見(乙一八、証人飯野耕三)

原告は、昭和五八年三月二二日に会社が初めて実施した健康診断を受け、このときの血圧値は一六八/一〇八㎜Hgと高く、明らかに高血圧レベルであった。しかし、この高血圧がいつからあったものか、どの程度の高血圧が続いたものか定かでない。心電図で左室肥大の所見があることは、以前から高血圧があったことを示唆している。ただ高血圧があっても自覚症状がないことが多く、検診の結果を事業者から本人に知らせていなかったとすれば、日常生活及び職務上、高血圧者としての養生を怠った可能性がある。原告が昭和五八年五月二六日に発症した脳出血は右被殻に大きさ四センチメートルくらいの血腫が確認されており、高血圧性脳出血と思われる。大脳の被殻という部位は高血圧に基因する脳出血が最も起こりやすいところである。本人の血圧値の記録は一回しかないが、明らかに高血圧であり、特に拡張期血圧が高く、しかも多量飲酒習慣があったことが脳出血を発症させる原因であたと推定される。高血圧性脳出血の最大の原因は放置された高血圧であり、これに多量飲酒習慣及び不規則な日常生活が関係したと思われる。高血圧であることを自覚していなければおそらく食生活の上で塩分摂取制限も実行していなかったであろうし、定期的に通院して降圧薬を服用し、血圧をコントロールするなどの高血圧管理も受けていないわけである。このように高血圧を放置し、アルコールを多飲し、不摂生な食生活、日常生活をしておれば、労働条件と関係なしに脳出血を発症しても一向に不思議ではない。確かに原告の場合、心身ともに恒常的に過重な労働により、疲労が蓄積していたであろうことは想像できる。特に脳出血発症当時は、職場の事情により対人関係で精神的ストレスが大きかったのも事実であろう。しかし、実際に心身のストレスがどの程度血圧値に影響するかは個人差が大きく、一概には言い難い。原告の場合、当時の労働条件が直接、脳出血発症の引き金因子となったかどうか、その因果関係はあくまで不明である。

三  ところで、証拠(甲二〇、乙一ないし四、一八、証人舟橋光彦、同飯野耕三)によれば、高血圧性脳出血の発生機序は次のとおりであると認められる。

原告の右脳内出血は、原告の高血圧症の基礎疾患の増悪を主たる原因とする高血圧性脳出血であるところ、これは、脳実質内の微小な血管の血管壁が細胞壊死を起こして薄くなり、それにより弱くなった血管壁の部分が嚢状に突出して小動脈瘤を形成し、その後血圧の上昇や血液の乱流により小動脈瘤が拡大し、血圧に耐えられなくなった時点で、この小動脈瘤が破裂して出血する疾病である。この脳内小動脈の高血圧性病変のうち、血管壁細胞の壊死の原因は、高血圧による血管内圧の上昇が唯一ではなく、その他の因子も関係していると医学上考えられているが、細胞壊死により脆弱になった血管壁が拡張して小動脈瘤を形成する過程、さらにその小動脈瘤が血圧の上昇に耐えられなくなって破裂にいたる過程では、高血圧が重大な役割を演じており、その意味で、高血圧は、脳出血症の最大の危険因子であり、脳出血の発症率は、高血圧症が重篤になるにつれ増加する。そして、高血圧症の発症及びその重篤化には、さまざまな因子が関係しているが、肉体的、精神的に過重な労働による疲労及びストレスの持続もこれに影響を及ぼすものであると医学上されている。

四  以上認定した事実関係を基に業務起因性について判断する。

1  原告の業務は、訴外会社の営業本部の営業部次長として、①営業マネージャー、②販売促進、③販売員の教育指導、④直営店管理(指導、教育)、⑤代理店管理(指導、教育)を行うことであり、一緒に営業活動を行いながら営業部員に対し営業指導をするのもその一つであるところ、本件発症はその営業指導中に起きている。

2 原告の従事した営業部次長の業務は、毎日、売上高を伸ばせと命令する営業本部長である社長と、売上高をどうやって伸ばすかと悩む営業部員との中間に立って、深夜近くまで頭を悩ませ、営業部員を指導監督する業務であり、精神的に極度のストレスと疲労を蓄積させる業務であった。ことに、本件発症に至る一か月間は、右に加え、部下の営業課長が営業部員を引き抜いて同業の別会社を設立する動きを封ずるため、連日会議を開くなどの対策に追われ、かつ、本件発症一四日前からは、営業部員二五名中課長を含む九名が退職し、同業別会社を設立したことに対する善後策に追われ、精神的に極度のストレスと疲労を蓄積させた。原告は、右労働に従事したことにより極度のストレスと疲労を蓄積させ、疲労困憊した中で、右脳内出血に罹患したというべきである。

3 本件発症前一年間の原告の残業時間は毎日約五時間であり、通常一日一三時間三〇分(昼食と夕食に各三〇分を差し引くとして、実質一二時間三〇分)の拘束となる。原告が終礼終了後に営業部員を伴って飲酒するのも社長の指示によるもので、業務の延長というべきものであるから、これを含めると、本件発症に至る一か月間の原告の残業時間は毎日約七時間であり、通常一日一五時間三〇分(実質一四時間三〇分)の拘束となっており、原告の営業部次長の労働は量的に極めて過重であったということができる。

4 業務による精神的、肉体的負担によるストレス以外に他に本件発症の原因となるものは証拠上認められない。

飯野耕三医師は原告の多量飲酒習慣及び不規則な日常生活が本件発症に関係したと意見を述べるが、飲酒の大半は営業部員を伴ってのもので業務延長というべきものであるし、不規則な日常生活と評しうるものがあったとしても、それは原告の過重な業務のしわ寄せともいうべき面があり、いずれも業務と関係がないものではない。

5 そうすると、原告の右脳内出血は原告の高血圧症の基礎疾患の増悪が主たる原因であるが、これとともに、原告の従事した営業部次長の過重な業務が原告の高血圧症の基礎疾患を自然経過(加齢、一般生活等で生体が受ける通常の要因による基礎疾病の経過)による増悪を超えて増悪させた結果であり、原告の従事した営業部次長の過重な業務に内在する危険が現実化して発症の結果を招いたものということができる。

6 この点、被告労基署長は、原告の本件発症が自然的経過内のものである旨主張する。しかしながら、原告がその労働との関連なしに当然に本件脳内出血を発症したことを客観的に裏付けるものは見当たらないし、また、今日の医学的知見によれば、脳出血が労働関連性のある疾患であると認められていること、血圧そのものが労働により上昇すること、高血圧の患者は正常者よりもストレスによる血圧上昇をもたらしやすいことなどがそれぞれ認められていることに鑑みれば、原告の従事した過重な業務が原告の疾病の自然的経過を超えて増悪させる上で悪影響を与え、本件発症につながったと解することが経験則にも合致するものであるから、同被告の主張は採用できない。

五 以上の認定によれば、原告の右脳内出血は業務上の疾病に該当し、被告労基署長の業務外の認定は事実の認定を誤っており、本件不支給処分は違法であって、取り消されるべきである。同被告に対する原告の請求は理由がある。

第四  争点二(固有の瑕疵の有無)に対する判断

一  被告審査官の関係について

原告は、被告審査官の原告の審査請求を棄却する決定は、半田医師による鑑定意見を採用せず、井上医師の意見を意図的に取ったものであって、審査官の権限を濫用したものであり、決定に固有の瑕疵があると主張するが、いずれの医師の意見書を採用し、いずれを不採用とするかは審査官の裁量に委ねられているところであり、被告審査官に権限を濫用した瑕疵があるとは認められない。他に右決定を取り消すべき事由は見当たらない。したがって、同被告に対する原告の請求は理由がない。

二  被告審査会の関係について

原告は、被告審査会の原告の再審査請求を棄却する裁決は半田医師による井上意見の当否を含む再鑑定処分の申立てを採用しなかった点において固有の瑕疵があると主張するところ、鑑定をするか否かは当該審査会の裁量に委ねられているのであって、半田医師による再鑑定処分の申立てを採用しなかったとしても、被告審査会の裁量の範囲内であって、同被告の裁決に固有の瑕疵はないというべきである。他に右採決を取り消すべき事由は見当たらない。したがって、同被告に対する原告の請求は理由がない。

第五  結論

以上の次第で、原告の請求は、被告労基署長に対し本件不支給処分の取消しを求める限度で理由があるから認容し、その余の被告に対する請求はいずれも失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官草野芳郎 裁判官和田康則 裁判官石山仁朗)

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